毎日の思い出日記

1歳7ヶ月からの育児日誌です。楽しいことも苦い思い出も残しておきたい。

だろ?

2月20日 土曜日 強風

水曜日に子供が相方さんに返事をせず、また風邪も治らず休みが続いており、相方さんがイライラして痺れを切らし「一人で寝てなさい!一人で寝られないなら早く風邪治しなさい!」と無茶なことを怒鳴ったので、見ている私がカチンときて思わず「無茶苦茶だなぁ」と言い返してしまい、相方さんが反論してきたが私が襖をピシャっと閉めて聞かなかったので、その時から相方さんが口を聞いてくれない。

私だけでなく、子供にもだ。

子供が挨拶しても、返事をしない。子供にとってはつらいことだろう。昨日は返事してくれなくて泣いてしまった。

だから、「お返事してくれなくても自分はちゃんと挨拶するんだよ。お返事してもらえないとこんなに悲しいから、今度からお返事はちゃんとするんだよ。」と言っている。

相方さんは、無視されるとこんなにつらいというのを子供に味わわせたいのと、多分鬱一歩手前なのだろう。無視する方だってつらいはずだ。

鬱というのは、こんな手段しか取れないのだろうか。生きにくいにも程がある。

無視される方はもちろんつらい。

おはようと言ってもただいまと言っても返事はない。ご飯を作っても挨拶も発言も一切なく、不満げに食べては無言で去っていくだけ。時折盛大なため息が聞こえてくる。相方さんの話を子供とすると、ため息が聞こえる事が多いので、相方さんの事を話すこともほとんどなくなった。私は無視されるのがつらいので、なるべく無視されている事実を作らないために、目も合わせないようにしてしまうし、なるべく話しかけもしない。いつもなら週末夜ふかしして一緒に一週間分のアニメを見るが、今夜は子供と先に寝た。

一緒にいる方がつらいので、もし今月中に治らなかったら、一度相方さんと話して、もし無視することをやめられないのだったら、子供を連れて少し家を離れようかなと思っている。

子供への見せしめなのであれば、やめられるはずだ。それなら一週間もすれば十分だと私は考える。もし半月経ってもやめられないのなら、それは見せしめではなくて、鬱だ。病気のせいで子供に悲しい思いをさせるのも、子供と私のせいで病気を悪化させるのも良くない。だからその時には、一旦離れようと考えている。

私の精神もだんだんとすり減っている。

昨日は子供をちゃんとトイレに連れて行かなかったので、普段はお漏らししないのに、3回もお漏らししてしまった。私が悪いのに、私はイライラして子供に怒鳴ってしまった。自己嫌悪で泣きながらビールを1缶開けて一気飲みした。その時相方さんが台所へやってきたが、泣き顔は見られたくないしイライラしていたので、その場を離れて、乱暴に洗濯を済ませた。

寝るとき、子供の横で泣いてしまった。私が悪いのに怒鳴ってごめんねと謝ると、いいよと言ってくれた。優しい子だ。

今日はちゃんと時間ごとにトイレに連れて行き、お漏らししなかった。

私は一人で皿洗いなどの何も考えなくて良い作業をしていると、なんでもないのに涙が出てくるようになった。無視されるのがつらくて、それにつられて色々な自分の過ちなどを思い出し、死んだら全部許されるのかなぁと、死について検索し始めた。だいぶやられている。

私の分身のような友達が、こういう気持ちも共有できるので、沢山話を聞いてわかってくれることが、すごく救いだ。

このような時に、仕事が重なって入ってきた。これは不幸なのか、幸せなのか。幸せと思ってできるなら幸せ、試練で不幸だととらえれば不幸なのだろう。

 

長々自分のことばかり書きすぎた。

こんな時こそ客観的にならないと、自己嫌悪の奥深くに落ちていくだけだ。

仕事をしよう。好きな事が仕事になっているのは、このような辛い時には幸いだ。

 

朝皆が起きたら、笑顔で迎えられるだろうか。笑うのはまだ無理かもしれない。

目くらいは合わせられるように頑張ろう。